第三十番 竹生島 宝厳寺

旅行

縁起

竹生島宝厳寺は、神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まりです。
行基は、早速弁才天像をご本尊として本堂に安置。翌年には観音堂建立を発案しました。後年、その遺志を継いだ浅井の大領が千手千眼観世音菩薩像を安置しました。
それ以来、天皇の行幸が続き、また伝教大師、弘法大師なども来島、修業されたと伝えられています。
宝厳寺は、豊臣秀吉との関係も強く、多くの書状、多くの宝物が寄贈されています。慶長七年(1602年)には、太閤の遺命により、秀頼が豊国廟より桃山時代の代表的遺稿である観音堂唐門などを移築させています。

境内

琵琶湖が一望できます。

三重塔です。平成12年5月、当寺では江戸時代初期に焼失したと言われている「三重塔」を、約350年ぶりに復元されています。この塔は、古来の工法に基づいて建築されています。四本柱に32体の天部の神々を描き、また、四方の壁には真言宗の八人の高祖を配しています。
各柱や長押にはうんげん彩色や牡丹唐草紋様が描かれています。 これらの装飾は、昔ながらに岩絵の具を膠水で溶いて描いているため、耐久性に欠け剥落もしやすく、新しい色合いにて見ていただけるのもこの新築時しかないものであります。

本堂(弁財天堂)です。本尊の大弁才天は、江ノ島・宮島と並ぶ「日本三弁才天」の一つで、その中で最も古くに建立された弁才天です。そのため、この竹生島の宝厳寺のみ「大」の字をつけ、大弁才天と称します。
この本尊は、開山時(七二四年)聖武天皇の勅命を受け、僧行基が開眼したものです。内陣の壁画は、荒井寛方画伯によるもので正面の壁画を「諸天神の図」、側面を「飛天の図」と呼びます。

舟廊下(重要文化財)の下の部分です。私が参拝したときは唐門(国宝)は修繕中でした。

竹生島は女人禁制でありましたが、女性たちを守る信仰の島でした。宝厳寺が火災で焼けた(永楽元年/1558年)後、復興させたのは秀吉の正室・寧々でした。 秀吉の家族や家臣たちによる寺への寄進記録『竹生島奉加帳』というのがあり、そこには寧々が、城内で女性たちから寄付を集めて、竹生島の復興を助けたことが分かる記録があります。

アクセス

住所   〒526-0124 滋賀県東浅井郡びわ町早崎竹生島1664

交通   長浜・彦根・今津の各港より 汽船約25分〜40分

駐車場  有 (各港に有り・台数は港により30〜100台くらい)

拝観料   無料 (竹生島入島料 大人500円 小人300円)

拝観時間 9:30〜16:30 (観光船)

納経時間 拝観時間に同じ (観光船就航時間)

竹生島・宝厳寺 ~西国第三十番札所~ (chikubushima.jp)

第三十番 宝厳寺 : 西国三十三所 (saikoku33.gr.jp)

西国三十三所巡礼 | たいすけのブログ (taisukecocoharublog.com)

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