八尾神社にて。「八尾」の名前の由来とは。

祭神は宇麻志麻治命で延喜式内社です。「延喜式内社」というのは、延長5年(927年)にまとめられた「延喜式」の巻九・十に名前が載っている2861社の神社のこと。そして延喜式の巻九・十のことを「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」といいます。
この地を本拠とした物部氏の一族、栗栖連がその祖神を祀ったものといわれています。古くから西郷・木戸両村の氏神で明治四十一年(一九〇八)に八尾神社と改めました。
八尾は、古くは矢尾・矢生・箭尾とも書かれ、物部氏の一族で矢作りに従事した「矢作部」がいたといわれています。出来上がった矢を背に負い運ぶことが多かったことから、「矢負い」が「矢尾」になり、『八尾』になったといういわれや、旧大和川がこの地を流れていて、洪水を防ぐ堤を作る際に数えきれないほど「八百」(たくさんの意)の杭を打ったことから転じて『八尾』になったといういわれがあります。また尾先が八枚に分かれた鶯の名所であったことから地名となったとも伝えられています。近くのショッピングモール「アリオ八尾」にもこの話が紹介されたエリアがあります。

 

アリオ八尾|八尾のショッピングモール (ario.jp)

八尾市ホームページには八つの尾の鶯の言い伝えから「八尾」の名前ができたことを最初に載せています。私個人的には「物部氏の一族の矢作り」から「やお」の名前ができたほうに信憑性があるように思います。
社殿の横には「矢尾城址」碑があります。南北朝時代に八尾城があったとされていますが、確かな位置ははっきりとはわかっていません。西郷説、現在の本町付近、八尾座説、現在の南本町、高見町、安中町付近の2つの説があります。
須佐之男命、武甕槌命、菅原道真公。どの神も「荒ぶる神」ですね。

八尾神社は、近鉄八尾駅から歩いて5分の場所にあります。

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