縁起
慶雲年間(704から708年)、唐の僧、威光上人が当山の二つの峰を望んで、中国に山容の似た馬耳山という霊験のある山があったことを思いだされました。登山したところ、松の大樹の下に馬頭観音を感得し、草庵をを結ばれたのが、和銅元年(708年)と伝えられています。
今日まで千三百年を経ているが、その間、元永二年(1119年)には、鳥羽天皇の行幸があり、寺領四千石を給い、寺坊は六十五を数えて繁榮することになります。当地方唯一の国宝の仏画も、美福門院(藤原得子、鳥羽天皇の皇后)の念持仏であったといわれています。
その後、度重なる火災にあうことになりますが、その都度、細川幽斉や京極家によって復興され、現代の本堂は、牧野英成により享保十五年(1730年)に修築されました。
松尾寺(まつのおでら、または、まつのをでらと読みます)は、西国第二十九番札所で、本尊馬頭観世音は、三十三霊場中唯一の観音像であり、農耕の守り仏として、或いは牛馬畜産、車馬交通 、更には競馬に因む信仰を広くあつめています。
境内
本堂はほかの寺院とは趣の違う造りとなっており、1730年に建てられ
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