第二十番 西山 善峯寺

開山とご本尊

善峯寺は平安中期の長元2年(1029)源算上人が小堂に御自作の千手観音を奉安して、阿智坂の法華院と号したのが始まりです。長久3年(1042)後朱雀天皇勅命により、洛東鷲尾寺の千手観音を遷座して本尊とされました。この本尊は千手堂を造立し奉安されて、開山上人の観音像は別に奉安されました。

境内の歴史

善峯寺の隆盛時には多くの伽藍が建立され、南尾の法華院、中尾の蓮華寿院、北尾の往生院を中心に52坊ありました。現在の観音堂付近が南尾法華院で、薬師堂付近が中尾蓮華寿院です。現在の北尾は三鈷寺の境内地で、往生院旧跡は証空上人ご聖跡として浄土宗西山三派の信仰地となっています。応仁の乱により大半のお堂が焼失してしまいます。江戸時代には10近くの伽藍と7坊が復興され、明治時代には神仏分離令の流れを受けて一坊に総合されます。現在は境内地3万坪にある20近くの堂塔伽藍と所有地36万坪が受け継がれています。

遊龍の松

五葉松で樹齢600年以上、全長37m、国の天然記念物に指定されています。主幹が地を這うように伸びる巨大な松は、臥龍の遊ぶ様に見えることから、安政4年(1857)、花山前右大臣家厚公により〝遊龍〟と命名されました。善峯寺で特に有名なこの松は“日本一の松”と人口に膾炙されています。平成6年に松くい虫の被害により、全長50mほどの松が15m余り切断され、現在は全長37mとなっています。

徳川綱吉と生母桂昌院の寄進

徳川綱吉の外祖父本庄氏が当山の薬師如来に一女子を得ることを祈願するとすぐに女の子が生まれ、この子が後に転じて将軍の侍女となり、徳川家光の寵愛を得て綱吉を産み、家光薨去により桂昌院と号されます。桂昌院はこの出生の報恩を謝して、伽藍を改建して諸器什物を寄付し、またしばらく綱吉より寺封(資金補助)が出されました。
貞享4年(1687)綱吉42歳を迎えるにあたり、桂昌院によって「厄除けの鐘」が寄進されました。鐘楼堂は貞享3年(1686)建立され、梵鐘には貞享4年(1687)の銘が記されています。
元禄4年(1691)桂昌院は本庄因幡守を監督役とされて、全山の伽藍を改建されました。元禄10年(1697)綱吉より乙訓郡久世村上里村の200石及び山林420,524坪の寺領朱印が出されました。綱吉以降の徳川歴代将軍は、先例に従い朱印地を下されました。
現存の鐘楼・観音堂・護摩堂・鎮守社・薬師堂・経堂は、桂昌院によって寄進復興されました。また綱吉と桂昌院により百点を超える幾多の貴重な什物が寄進されました。

少し高台ににあり京都市内を一望できる位置にあります。京都にある寺院のなかでは「アクセスの悪い」寺院になるかと思います。だからこそ訪れる方が少なくゆっくりと参拝できるかとおもいます。秋になれば高台という位置にあるので寒暖差があり、木々の色づきも良いように思います。ゆっくり鑑賞できるので、その紅葉がより一層鮮やかに映るのではないでしょうか。

住所   〒610-1133 京都市西京区大原野小塩町1372

交通   JR向日町駅下車阪急バス(約30分)

駐車場  有 (大型10台・小型150台)

拝観料  大人500円/高校生300円/小・中学生200円

拝観時間 8:00〜17:00 (16:45受付終了)(令和3年3月まで)
(令和3年4月より土・日・祝は8:00 平日8:30から17:00)

納経時間 8:00〜17:00 (令和3年3月まで)
(令和3年4月より土・日・祝は8:00 平日8:30から17:00)

京都・西山 西国第二十番札所 善峯寺 (yoshiminedera.com)

第二十番 善峯寺 : 西国三十三所 (saikoku33.gr.jp)

西国三十三所巡礼 | たいすけのブログ (taisukecocoharublog.com)

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