縁起
朱鳥元年(六八六)道明上人は、天武天皇の銅板法華説相図(千仏多宝仏塔)を西の岡に安置、のち神亀四年(七二七)徳道上人は、聖武天皇の勅を奉じて、衆生のために東の岡に近江高島から流れ出でた霊木を使い、十一面観世音菩薩をお造りになられました。
徳道上人は観音信仰にあつく、西国三十三所観音霊場巡拝の開祖となられた大徳(だいとく)であり、それ故に当山は三十三所の根本霊場と呼ばれてきました。
現在の長谷寺は、真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)の総本山として、 また西国三十三観音霊場第八番札所として、 全国に末寺三千余ヶ寺、 檀信徒はおよそ三百万人といわれ、 四季を通じ「花の御寺」として多くの人々の信仰をあつめています。
今昔物語集には長谷寺に関する記述が残っています。
今は昔、諸国に大洪水があった時、近江国高島郡の岬に大木が漂着した。村人の一人がその木の端を切り取ったところ、家が焼け、村人が多数流行病で死んだ。これは木の祟りだと言って誰も近寄らない。たまたま村に来た大和国葛木下郡の男がこれを聞き、この木を持ち帰り、十一面観音を作ろうと思ったが、木が大きくて家まで運べないので、そのままにして帰った。その後何人かを連れて行ったがそれでも運べなかったが、試しに縄をつけてひ曳いてみると軽々と曳けた。葛木下郡当麻(たいま)まで引いてきたが仏像を作るまでに至らず、男は死に、木はそのままで八十余年たった。そのあと村に流行病が発生し、木のせいだとして、役人がかの男の子供にあたる宮丸に捨てさせた。宮丸は村人と共に敷上郡長谷川の岸に捨てた。二十年たち、この話を徳道という僧が聞き、自分が像を作ろうと今の長谷の地に曳いて行ったが、一人では作りかね、七、八年木に向かって祈祷(きとう)した。これが元正(げんしょう)天皇のお耳に入り、大臣藤原房前(おとどふじわらのふささき)も聞いて、その協力のもとに神亀四年(七二七)、二丈六尺(約八・六メートル)の十一面観音像が完成した。すると徳道の夢に神が現れ、北の山の下の大岩を掘り出したその上に像を安置せよという。その後観音の霊験はあらたかで、震旦(中国)までも利益を施した。今の長谷寺はこれである。
参考文献
「今昔物語」
巻十一の三十一
この他にも「わらしべ長者」の記述もあります。昔から多くの人々の信仰のよりどころになってきたことがうかがえます。
本 堂
徳川幕府による大規模な造営として代表的な寺院本堂であり、我が国における観音信仰の中心的な役割を果たした重要な建築として、平成16年12月に国宝の指定を受けました。
間口、奥行きとも9間の本瓦葺き。正堂(内陣)と礼堂(外陣)をひとつにした双堂と呼ぶ様式で、間に石敷の土間(拝所)を設けています。
長谷寺は代々徳川幕府の庇護を受けてきました。家康は寺僧を招いたり、長谷寺参詣も計画されました。また家光は黄金二万両を寄進して観音堂を再建し、綱吉・桂昌院の帰依もあって本堂に徳川歴代将軍のご位牌を祀ってきました。教科書や参考書で目にする肖像画とは少し違うように思いますが、これはこれで、当時のその人柄を表しているものだと思われます。
アクセス
住所 〒633-0112 奈良県桜井市初瀬731-1交通
近鉄 大阪線 長谷寺駅下車20分
駐車場 有 (普 70〜80台)
拝観料 大人500円, 小人250円
団体 30名以上 大人450円,中・高生350円,小学生200円
拝観時間 (4月〜9月)8:30〜17:00, (10月〜3月)9:00〜16:30
ただし「ぼたんまつり」期間中延長有り
納経時間 同上
奈良大和路の花の御寺 総本山 長谷寺 (hasedera.or.jp)
長谷寺|奈良県観光[公式サイト] あをによし なら旅ネット|桜井市|山の辺・飛鳥・橿原・宇陀エリア|神社・仏閣|神社・仏閣 (nara-kankou.or.jp)
第八番 長谷寺 : 西国三十三所 (saikoku33.gr.jp)
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