今日は由義神社(ゆぎじんじゃ)です。

閑静な住宅地の中にあります。

由来は由義宮に、神護景雲(じんごけいうん)三年(769年)称徳天皇たびたびこの地に行幸され、その宮域の若江、大縣、高安三郡にまたがる宮跡の中心に、広大な氏地と氏子により造営されました。
由義宮というのは、八尾出身の弓削道鏡を信頼する称徳天皇(元の孝謙天皇)が、765年に、弓削行宮(ゆげのあんぐう・道鏡の故郷である弓削の地に設けられた仮御所)に滞在しています(その時に道鏡を太政大臣禅師に任命しています)。769年、称徳天皇は弓削の地を「由義宮」として整備を進め、平城京の副都として「西京」と位置づけられました。
孝謙天皇と道鏡はいろいろ悪い印象が残っていますが、政争に負けた側の歴史というのは、悪く書かれ、後々に伝わります。目に見えている資料だけをみて判断するのではなく、見えていないところにも多くの歴史があることを頭の中に置いておかないといけないと思います。
上の二対の写真の狛犬(本来は向かって右側の口を開いた角なしの「阿像」が獅子、左側の口を閉じた角ありの「吽像」が狛犬です)が、今現在お社を、お守りをしている狛犬で、下の二対の写真が、以前、お守りをしていた狛犬です。そのためこの神社は4体の狛犬を拝見することができます。

歴史に「もしも」はないですが、称徳天皇が長生きされ、道鏡も重用されていれば、この地域は京都、奈良にならぶもう一つの「古都」となっていたかもしれません。

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