第二十二番 補陀洛山 総持寺

第二十二番 総持寺 : 西国三十三所

写真は第二十二番 総持寺 : 西国三十三所 (saikoku33.gr.jp)より引用

亀に乗った観音様として有名な総持寺は平安時代、中納言藤原山蔭卿により開かれました。亀の恩返しにより開かれた総持寺の御話は、今昔物語や源平盛衰記等にも紹介されていますが、総持寺には、お寺の創建についての縁起絵巻が残されています。

 

藤原山蔭(ふじわらやまかげ)の父である藤原高房(ふじわらたかふさ)が太宰府に赴任の途中、淀川を船で下っていますと、漁師達が一匹の大亀を捕らえていました。高房卿は、「今日は十八日で観音様の縁日です。どうかその亀を私に譲ってください。」と自分の着物と交換し、大亀を河に放してやりました。

 

その夜、河口で夜を明かした高房は、継母のたくらみにより最愛の子である山蔭を河に落とされます。嘆き悲しんだ高房は「観音様、今一度我が子山蔭に、亡骸としてでも会わせて下さい。」と、常日頃より信仰している観音様に祈念されました。

すると昨日助けた大亀が元気な山蔭を背に乗せて現れたのです。観音様の御恩に感謝した高房は観音様の造像を発願します。高房より中国での香木購入を依頼された遣唐使は、買い求めた香木の持ち出しを禁止され、香木に銘を書いて海に流しました。

その後、高房は亡くなり山蔭が太宰府に赴任しました。ある日浜辺で、中国より流れ着いた香木を発見。驚きと歓喜に包まれ、父高房の遺志継続を決心するのです。

任期を終え都に帰った山蔭卿は、仏師を探すため奈良の長谷寺に籠もり祈願を重ねました。

ある朝、観音様のお告げにより童子の姿をした仏師に巡り会いました。山蔭卿は都の屋敷に来るよう童子に告げて、長谷寺を後にしました。山蔭卿の屋敷を尋ねた童子は、いぶかる家来達の前で、見事な十一面観音を刻み一同を驚嘆させました。

その後、彼の香木を与えられた童子は「仏様を彫刻する千日の間は誰もこの仏舎に入らぬ事。また、山蔭卿自身で私の食事を作ること」と申しました。

造仏を初めてより千日目の早朝、「長谷の観音様はどちらに」と声が聞こえると仏舎より「行基菩薩よ、今帰るところよ」との答えがあり童子は空に飛び立ちました。

山蔭卿が急いで仏舎に駆けつけると、千日間の食事を御供えされた千手観音様が亀の座に立った御姿で、お奉りされていました。

山蔭卿の三回忌には七男七女が協力し、五重塔、多宝塔、金堂、講堂、食堂、鐘楼、僧坊、宝蔵、浴室、四面回廊、大門、脇門等、総持寺の伽藍が完成しました。

総持寺伽藍の落慶法要は寛平二年二月四日と伝えられ、それ以来千百有余年を経て、信仰が伝えられています。

ホームページより引用しました。

参拝はしているのですが、お昼前だったので参拝者が多く写真は控えました。実際、寺院の池には亀がいます。私が参拝した時には亀が「甲羅干し」をしてました。

JR総持寺駅から徒歩5分の位置にあるので、訪れやすい寺院です。

アクセス

住所  〒567-0801 大阪府茨木市総持寺1-6-1
交通  JR京都線 JR総持寺駅下車徒歩約5分
阪急京都線 総持寺駅下車5分
名神高速道路茨木ICより国道171号線を高槻・京都方面へ約15分
駐車場 有 (普通車約20台、大型車専用駐車場もあり)
拝観料  無
拝観時間 6:00〜17:00
納経時間 8:00〜17:00

総持寺 (sojiji.or.jp)

第二十二番 総持寺 : 西国三十三所 (saikoku33.gr.jp)

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